京都紫野散策その6

引接寺を後にして船岡山の武勲神社へ向かいます。織田信長公が祀られています。

 

はるか遠くに山が見えます。比叡山でしょうか。

 

しばらく歩くと木々が生い茂った小高い丘が見えてきました。あそこが船岡山でしょうか。平安貴族が山菜獲りなど、今風に言えばおそらくピクニックに行ったという場所ですが、時代が下ると処刑場になったそうです。更に応仁の乱で多数の死者が出たという事で、オカルトスポットでもあるらしいのですが・・・。

 

信長公記の現代語訳をわざわざ買って何度も読み返すほどの信長ファンである私としては、是非武勲神社へ参拝したいところ。しかしオカルトは苦手でもありますので、あやしい雰囲気だったらスルーして次に行きましょう。

 

ここから行ってみましょう。この辺は上品な高級住宅街で、地元民は船岡山へよく散歩に訪れるそうです。全然オカルトじゃないです。

 

到着。さて、桜井識子さんの本では本能寺の変の際、全身に油を塗って炎に飛び込んだと書かれています。凄まじい最期ですが信長公ならあり得るな~、と思いました。

信長公記では、ひとしきり戦った後建物に火をかけ、切腹して自刃し、その後遺体が見つからなかったと書かれていますが、それには様々な説がありまして謎のままなのだそうです。信長公記の著者である太田牛一さんは若い頃親衛隊の一人でしたが、この頃は身辺におらず事件現場にいませんでしたので、後になってから色んな人にインタビューして書いたらしいのです。自決=自刃が普通な時代なので、そう書き記してしまわれたのかも知れません。いずれにせよ永遠に謎のままです。なにしろ最後まで一緒に居た人はみんな討ち死にしてしまいましたから。

 

つづく