伏見稲荷大社へ4

ここ稲荷山は、応仁の乱の頃に戦火に包まれたことがあったそうです。骨皮道賢という人物とその一味が立て篭もったので、室町幕府軍が取り囲んで一網打尽にしたそうなのです。

 

骨皮道賢には数百人の手下がいて、足軽として応仁の乱に参加していたようなのですが、織田信長の時代の足軽とはだいぶ違っていたようです。

 

骨皮道賢という名前から、貧相な悪党面が思い浮かびますが、実際はカリスマ性のある見栄えのする人物だったんじゃないかなぁ、などと思い浮かべます。

 

京の都で略奪と破壊の限りを繰り返した悪のカリスマですので、そうですね~、るろ剣で行きますと、ざっと「志々雄誠」あたりなんかが該当するんじゃないでしょうか。カッコいいですしね。

 

最期は女性に変装して脱出しようとしたところを、幕府軍に見破られてしまうのですが・・・。

 

応仁の時代の悪のカリスマは、女装しても不似合いじゃない、細面で美しい風貌の持ち主だったのかもしれません。おぉ、そうすると骨皮動賢を主人公にした映画ができるかも・・・。

 

・・・脱線しました。途中の眼力社では家内の網膜剥離の後遺症が良くなるようにお願いしてきました。

 

さて、似たような写真ばかりなので順番が合ってるか分からなくなってきましたw  一応時系列に並べているので合ってるとは思いますが(;´∀`)

 

うん、大丈夫っぽいです。

 

つづく