伏見稲荷大社へ5

長い階段に差し掛かりました。ゼエゼエ言いながらですけど、膝の故障の痛みが殆ど無かったです。伏見の神様のお助けでしょうか(*´ω`*)  しかしですね~、しかし・・・、緑の木々に朱色の千本鳥居が映えて、美しキレイな景色が続いておりまして、本当に心地よいです。

 

さて、桜井識子さんのブログがここのところ止まっておりますので、過去記事を読み返してみました。

 

すると、なぜか引っ掛かる記事がありました。それは熊野でのお話しで「・・・神様は不浄をうけたまわぬ・・・」というおみくじの話しだったのですが・・・。

 

インターネットで調べてみますと全文が出てきました。「小さい榊のその一枝にこころこめたる御玉串たとえ巨万の財宝をつんでも、財宝に惜しみがかかり、誇りがつけば、全く路傍の瓦石も同様で、神様は不浄をうけたまわぬ。神様につなぐ心の綱は、飽まで清くなければならぬ。清くなければ神様に通じない。」という内容でして、「あーこれ、自分の事だな~」と思ったのです。

 

とは言いますものの、日々生活していますと欲しいものが色々出てきますし、惜しむ心は日常茶飯事、それこそ煩悩まみれの毎日です。あぁ俺って不浄だよなぁ、でも仕方ないよなぁ(;´∀`)・・・と考えていましたら、「いや、そういう事ではないんじゃないか?」とふと思いまして・・・。

 

ブログを良く読み返すと、「他人を上から目線で見下す心の状態が、知らぬ間に芽生えている」という事がポイントだと気付きまして、「あ、このことか」と気付いたのです。これは確かに身に覚えが何度もあります。

 

たとえ他人から見下される事が有っても、自分が他人を見下しちゃならんのですね。神仏の意向ですから真摯に受け止めなければなりません。お、頂上が見えてきました。

 

つづく