蝉丸神社~三井寺へ 7

三井寺へは初めて来たのですが境内の広さに驚いています。

微妙寺という所に来ました。厳かな雰囲気のするとても感じの良いところでした。また木造建築の素晴らしさが素人目にも分かりました。中に入れるようですが先客がいたので遠慮しました。後になってから、やっぱり入れば良かったなと。

 

更に進むと赤い和傘が目に入ってきました。名物力餅なるものが食べられるそうです。少し休憩していきましょう。

 

お店の裏側は紅葉の林になっています。京都の観光パンフレットに載っていそうな風景です。お餅を注文してしばし待ちます。その間、これはもしかしてかなり贅沢なひと時なのでは? そんな風に思えました。

 

来ました。おぉ、見た目も美しい・・・。味は・・・、抹茶きなことお餅の組み合わせが絶妙です。初めての味覚ですが、とても美味しいです。自分の中の和菓子ランキングが久々に更新されました。

添付のパンフレットを読むと面白い事が書かれていました。江戸時代にお餅売りの商人が境内の一角を借りて創業したそうでして、有名な弁慶にあやかって力餅と名付けたそうです。平安時代の頃、三井寺比叡山は対立していて、比叡山の僧兵が焼き討ちに来たそうです。その時に弁慶が三井寺の鐘を戦利品として比叡山まで持ち帰ったそうなのです。しかしあの重い鐘をわざわざ・・・弁慶って・・・。

 

なんでお寺同士で喧嘩するんでしょうかね。しかも焼き討ちなんて。比叡山は京都に近い大寺院という事もあって有力貴族とかが次男三男を預けるという事が良くあったと思います。そうするとお布施とかいっぱいしたと思うんです。そうなると発言力が強くなりますので「なんでワシの息子がいつまでも修行僧やねん、早よ位をあげたらんかい、ワレェ」という事もあったと思います。そうなるとロクに修行を積んでいない高僧が「よしゃ、たまには山を下りてパーッとやるか!」と集団を引き連れて遊びに出掛ける、なんてことがしょっちゅう起こったかも知れません。すると風紀が乱れます。真面目なお坊さんたちは「もうあかん、山を出て違う所で修行したい」ということで大勢ここに移って来た、って事になったような気がします。そうなると比叡山の勢力が落ちますから「お前らなに勝手な事さらしとるんじゃい、ワレェ! 火~つけたるぞ!」という事になって行った・・・。という妄想が浮かんできました。あながち的外れではないように思います。いずれにせよ弁慶さんの行いは現代人からすると滅茶苦茶ではあります。しかしお餅が美味しかったので良しとしましょう。

 

つづく